浜離宮恩賜庭園 菜の花 【2005.03.26撮影】  New Gallery(高画質写真)
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潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。
潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式です。 
この地は、寛永年間(1624〜1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原でした。ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重。承応3年(1654年)、綱重は将軍からこの地を賜わり、海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てました。
その後、綱重の子供の綱豊(家宣)が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家のものとなり、名称も浜御殿と改められました。以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事が行なわれ、十一代将軍家斉のときにほぼ現在の姿の庭園が完成しました。 
明治維新ののちは皇室の離宮となり、名前も浜離宮となりました。その後、関東大震災や戦災によって、御茶屋など数々の建造物や樹木が損傷し、往時の面影はなくなりましたが、昭和20年11月3日、東京都に下賜され、整備のうえ公開されるようになりました。


東京風景写真「宵祭り」−Digital Photo by Yoimatsuri