冨士御室浅間神社の流鏑馬(やぶさめ)神事の歴史は古く、第72代白河天皇時代の、後三年の役(〜1087年)よリ起り、源義家(八幡太郎義家)勅を奉じて奥州の地で清原軍と戦うも苦戦し、弟の新羅三郎義光(源義光)は京から官を辞し祖父の源頼信公(甲斐守)の縁の地である甲斐の国に援軍を求め、兵5000人、騎馬200頭(黒駒)を集めた。
天慶鎮定の古事にならい冨士御室浅間神社に神護を祈願すること21日、満願の夜明けと共に出陣し、兄弟軍協カして善戦し清原軍を鎮定した。この戦勝は正に神の御加護によるものと9月9日、再び冨士御室浅間神社(2合目下鈴原)に立ち寄リ陳楽(笙、ひきちり)を奏し、盛大なる御礼祭を挙げた。以来9月9日の芝坐祭(おだいどころ祭り)、9月19日に流鏑馬神事(やぶさめ祭り)の奉納となった。
明治の改革、四民平等、家格貴賎の別撤廃、また日清戦争などにより大原各郷の村出金が整わず度々休止、復活を繰り返したが遂に明治30年を最後として、止むなく中断するに至ったが、平安時代に始まる、900年以上の伝統ある戦国武士の勇壮な流鏑馬(やぶさめまつり)を、昭和55年4月に84年ぶりに復活し、古式ゆかしい「武田流やぶさめ」の人馬一体の妙技を今年も4月29日、春爛漫の河口湖畔かつやまで戦国絵巻を再現させた。
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